恋心ミルフィーユ

恋心ミルフィーユ

ツイッターじゃ吐ききれない妄言をまとめていくよ

新プロフィールに関するブチギレと、改めて考える『暁山瑞希』について

こんにちは、恋心ミルフィーユです。

プロセカも学年が変わり、キャラクターも新衣装新プロフィールがお目見えになりましたね!暁山さん身長もちょっと伸びたね。そして新衣装もかわいい~~~~!!なのでとても良きですね!

性別欄を作られたこと以外は。

本当に嫌だ。プロセカくん本当に嫌だ。レオ二の新プロフ見たときからキレ散らかしてたわけなんですが、改めてこうやって出されるとあの運営3年間経ったのにな~~~~~んにも学んでないんだなという落胆が激しいです。

せっかく更新するタイミングなんだから、リリース初期にお出ししたそれを消すチャンスだったのにね。何考えてるんだろうね。もちろん瑞希瑞希でありそれ以上でもそれ以下でもないです。そしてそのことはイベントシナリオを通して丁寧に描かれており、このプロフ文も『ボクはボクのままでいいのかなって、思えたんだ』とすごく良いことが書いてあるのに、この仕打ちだもんなぁ。

ということで今日はこの地獄みたいな状況についてのお気持ちを書いていこうと思います。

※今回の記事では瑞希の戸籍性や身体性について決めつけていることがあります。

 

性別欄って必要?

ここ数年、性別欄の必要性についてはよく社会問題にも上がってきています。アンケート等ではその他や答えないの選択肢が追加されたり、履歴書から性別欄が消えたりと、より性別というものの存在性が薄くなってきていますね。

じゃあ逆になんで性別欄があるのかというと、私個人の意見ですが『わかりやすさ』のためだと思います。簡単にできる属性の付与。「20代の人間」よりも「20代女性」と説明した方がより具体的であり、人物像がはっきりする。ニュース等ではよくこの表現がされますね。

だから今回プロセカにおいても性別欄が作られたのは、『わかりやすさ』に焦点を当てたためなのかなと思われます。新規層に、まだプロセカを知らない人にも伝わりやすくするため、興味を持ってもらうために書かれたのかな…と。

 

新規の層に伝わりやすくする手前、わかりやすさを重視することは企業としては当然なのかもしれません。でもそれが本当に正しいのかと言われると私は絶対にNOだと答えます。

なぜ多様性が重視されるのか、マイノリティーを尊重するのか、その答えは誰も苦しまないようにするためであり、「わかりやすさ」つまりはマジョリティーに則った施策をすることは、結局のところただマイノリティー側の人間を黙殺してることと同義だと思います。プロセカのシナリオではかなり尊重し丁寧に描かれているだけに、何も変わっていないのは正直怒りを通り越して呆れました。

一番重要なのは、瑞希がこのプロフィールを見てどう思うかです。「暁山さん、新年度のプロフィールはこちらになりますがよろしいでしょうか?確認お願いします」とあなたなら提出できますか?これを見て本人が納得できるかどうかは、火を見るより明らかです。

 

以前のプロフィールにも書いてあるから削れなかった

→知らん。「昔からそうだから」なんて言い訳にもならない。

 

とはいえキャラクターを説明するうえで性別欄は必要だと思う。

→ゲーム側には無いんだから、わざわざ存在させる必要はない。

 

おそらく、シナリオを書いている部署と、このプロフィールをデザインした部署は別だと思われます。シナリオを書いている人がこのプロフを作ったんだとしたら、正直もう何も信用できなくなります。上の人の指示によってそうせざるを得なかった。きっと俺達の近藤さんよりもより上の人が…そういう前時代的なモノを作り出してしまったんじゃないのかなぁ…と。

難しい話題ではありますよね。ですが、どうするのが正しいか、どうするべきか、それぞれがきちんと考えることが重要です。性別欄の存在に関してはとにかく全部消えろ!とまではいきませんが、少なくともこの場では存在する必要は無いよねとは思います。

 

改めて考える、瑞希の性について

そして、話題に上がってしまった以上、一応触れておきたいと思います。暁山さんのことについて。先に結論を申し上げておきますと、

作中で言及されていないため何も答えられないし、答えは存在しません。

瑞希の性に関してはリリース初期から書いていました。私の考えはこのころから変わっていません。よければ一読お願いします。

こちらの記事は瑞希のことを表面しか見ずに所謂「trap」として扱われることを危惧して書きましたが、ユニストイベストを通してものすごく丁寧に描かれていたおかげか、今ではもう性とか関係なく瑞希瑞希であるとファンの間でもきちんと見てくれているのが界隈の空気からもよく伝わっています。

そしてそれがすべてです。瑞希の想い、悩み、色々あれど、瑞希瑞希であり、性別などというただの身体の作りの違いで人間を図ることなど、無意味でしかありません。

 

…とはいえそれで「はい議論は終わり!これにて閉廷!」とするのは簡単ですが、説明不足であることも否めません。かなり無粋ではありますが、少し書かせていただきます。

瑞希トランスジェンダーかについて。トランスジェンダーの定義としてよく使われる言葉として「身体性と性自認が異なる」というものがありますが、こちらの言葉は少し曖昧だと私自身は考えています。性自認とはなんなのか、それは本人にしかわからないし、本人だってわからないことがあります。

 ――「トランスジェンダー」とはどんな人たちを指すのですか。

 「世界的に0・5~0・7%と言われ、圧倒的に数の少ないマイノリティーですが、確実に存在する人たちです。よく使われるのが、『身体の性別と心の性別が異なる』という説明です。分かりやすいですし、トランスの人は自分の身体と付き合うのが大変な面もあるので、言い当てていないわけではありません。しかし私は、『この性別で死ぬまで生きなさいという課題を背負いきれなくなった人たち』と説明しています」

 

 ――「課題」ですか。  

「私たちはみな生まれた時から、『男の子として生きなさい』『女の子として生きなさい』という課題を背負っています。社会が負わせるその課題に対し、『その性別では生きていけない』『つじつまが合わない』と感じているのがトランスジェンダーです。私たちは電車の中や道で知らない人を目にした時、まず『男か女か』を判断します。誰もが『男』『女』として存在させられているとも言えるでしょう。性別を元にした仕組みや制度も至る所に存在します。今の社会で、性別から逃れることはできません」

引用 : それは誰のための議論なのか 「トランスジェンダー問題」を考える

高井ゆと里さんの言葉を引用しますが、私自身としてもトランスジェンダーの説明として『この性別で死ぬまで生きなさいという課題を背負いきれなくなった人たち』という言葉はとてもしっくりきます。

そして暁山さんはまさしく、背負いきれずに苦しんでいる側の人間です。性自認がどうとかは言及されていないため何も言えませんが、ニーゴのみんなにはこの課題について言及することができず、学校でも自身の望まない扱いを受け不登校になってしまっている。そのことは事実として存在しています。そのため瑞希トランスジェンダーとして描かれているキャラクターであると定義すること自体は、私はしてもいいのかなと思っていますし、肉体的性別に則った性を瑞希に割り振るのは間違いで有ると考えています。

瑞希クロスドレッサーなのか、それともXなのかFなのか、ノンバイナリーなのか、様々な憶測があります。ですが散々申してる通り、それについては言及されていないため答えられません。そして、私個人としては明記されてほしくありません。Xだなんだと括ること自体が嫌な人もいる。性別の概念無く生きていたい人もいる。プロセカを通じて性に悩んでる人の指針として動いているキャラクターである以上、このまま結論が出ないのが一番であり、無理に描くのは野暮です。

 

これからの瑞希について

最後に、2年生になってからの瑞希について。

以前にもニーゴのこれまでとこれからを書いたのですが、瑞希の問題はまだ解決していません。私としては「待たせる」というのも選択肢としては正しいことだとは思っているのですが、瑞希自身今回のプロフィールで『自分の秘密と向き合えずにいる現状から無力感を覚えていた』と書かれている以上、この「待たせる」という結論に納得はしていないのかなぁと…。

どう向き合うのか、そしてどう向き合わなくちゃいけなくなるのか。とても楽しみであり、苦しくもあります。でも瑞希なら大丈夫、杏が、類が、みんながいる。瑞希の青春が救いの物語になることを信じています。