恋心ミルフィーユ

恋心ミルフィーユ

ツイッターじゃ吐ききれない妄言をまとめていくよ

息が詰まる

『ノンブレス・オブリージュ』、名曲ですよね。

初めて聞いたとき、それこそタイトルの通り息が詰まりました。曲の構成、テーマ、そしてMVの迫力。どれをとっても私を壊すには十分の破壊力。こんな曲をニーゴ全員曲で当てたこと、そしてミクさんを主軸にしつつ4人全員がメインとなりえる構図がとても上手く、そしてそれ故にとても辛いです。ニーゴカバー曲で一番好きだと言える曲になりました。

『君と防空壕で呼吸する』。世間がどう思おうと2人が幸せならそれが一番のHAPPYENDだと推していきたいマトイリにとっては、絶望的な歌詞の中での唯一の救済、これはポジティブな歌だと思っているんですが、それはそれとしてやっぱり暁山さんには青空の下で呼吸してもらいたいです。*1

 

燃え尽き症候群

ということで本題。いや本題は上の文かもしれないからここからは愚痴タイムかもしれない。

最近MVの影響もあって本当に息が詰まることが多く(マトイリは映画や音楽に影響されやすいため強烈なパンチを食らうと1ヶ月近く立ち直れなくなる)、自分自身にとってジェンダーって何なんだろうと考える時間が多くなっていました。

私ってなんなんだろうね?誰か教えて。トランスジェンダーだと思って生きていたけど、トランスジェンダーって一体なんなんなんだろうね?身体や社会的性別との違和こそが症状……症状って言い方をしていいのかはわからないけど、そうじゃないですか?性別が違うから苦しい、それを取り除くために身体的にも社会的にも違和感のないようにする。それこそが目標となる。で、今割とこの目標が達成されてしまっているが故にどんどん迷走…というか、燃え尽き症候群になっています…。

私って相当パス度高いんですよ。メイクしたらもちろんだし、なんならすっぴんでいる職場でも他部署の人だとあー普通にパスできてるんだなーと思うこともあってびっくりします。同部署の人は髪の短い時代や名前変更の歴史も知ってるためパスする気なく働いているから余計に驚くね。あ、これは自慢です。でも髪が長いと勝手にパス度は上がるので、切ると多分パス無理。案外パス度って顔の造形なんかどうでもよくて、全体の雰囲気で決まるから。

身体的違和は睾丸取ってからどうでもよくなり、戸籍性として社会的に扱われなければ基本どうでもいいので、そこでも困ってない。そうなってくるとどんどん自分が苦しいって感覚が消えてくるんですよ。これはいいことなのかもしれないけど性別で悩み苦しんでいることがもはやアイデンティティになっていたため、今更無い生活がわからない。快適というものを拒絶してしまっている。苦しみたい。死にたいという衝動に押さえつけられてないとどう生きていいかわからない。苦しくないから苦しみ方がわからない。どうすればいいの?助けて…。

これが現在の私のこと。中途半端な快適さによって燃え尽きてしまっている。明確な目標が定まっていないから宙ぶらりん。所詮は空っぽの人間。もういっそのこと指をさされていたい。笑われればいいと思う。オープンに生きてる私はトランスジェンダー芸人。完パスを目指すのがいいかもしれないが別に女性として生きたいわけでもないんだなーというのが本音なので、結局は性別というものがこの世を支配している限り私の頭の中では永久にノイズが鳴り止まない。

 

M-1

そんな折に見たのがM-1グランプリウエストランドのネタに関しては最初は不快に思ったけど今では割と肯定してるし別にいいんですが、審査員の言葉がずっと胸に残っています。

「人を傷つける笑いは今はダメだけど〜」

「窮屈な時代」

窮屈な時代という言葉はコロナについてのことかもしれないが、文脈としては上と一緒で『人を傷つけて笑いを取れなくなったこと』に関しての言及だと感じました。これが非常に悲しい。時代の変革が起きている今、上の世代の人がどう思っているのかがこの言葉ではっきりと見えた気がしました。

一昔前は当たり前でしたからね、そういう笑いが。他人のことをブスだ愚図だと笑いの種にし、ニュースですら今年のブサイク芸人ランキングみたいなのを平然と発表する。芸人も芸人でブスやデブは武器になると自ら笑いを生みにいっている。双方合意のプロレスだから問題はないかもしれないが、それ以前の問題としてそんなことを合意させる世界が終わっていると今なら言えます。それを肯定してはいけないとみんなが思い始めているからこそ、現代のニュースタンダード『人を傷つけない笑い』が生まれたんじゃないのかな?

昔は許されていたのになんで?→うわぁ…窮屈や…という矢印の間に何があったか、それをきちんと理解していない(理解しようとしてるけど心の底では納得ができていない)人がいるからこそ、窮屈な時代という言葉が生まれたのだと思います。すごく個人的で偏った意見ですが…。

ウエストランドのネタは単なる毒舌ではなくtwitterの愚痴垢であり魂の叫びでありラップバトルだと認識していますが、これを機に他人を傷つけて笑いを取ることが是とされると思う人が多くなるとしんどいなぁ…。多分これは現代のお笑いの舞台で戦ってきたウエストランド側が一番わかっていると思うので、うまく流れを作っていってほしいです。

 

窮屈な時代

やっぱりこういう状況を見ると、なんかLGBT+に関しても同じようなこと思ってるのかなーって、めっちゃ考えてしまいます。

私の周りは「そのままでいいよ」とか「応援するよ」みたいな肯定的な意見を出してくれる人が多いけど、外側を見渡すとみんな配慮しなければいけないと思っているのかな。『そういう人』を理解できないけど認めなければいけないという窮屈さがあるのかなぁ?はぁーーーーーーーやってらんねぇ。お笑いですらそういう本音が見えたんだもん、もっとセンシティブな話題ではセーフなんて絶対にないからね…。

生きやすい世界、できてくれたらいいなぁ。もちろん誰かにとって生きやすい世界は同時に誰かにとって生きにくい世界であることは重々承知していますが、マイノリティ側が常に救われてほしいという気持ちが強いです。個性を認め合い尊重する、そこには他人を傷つけるなんて文化は存在せず、誰一人苦しまない優しい世界……いやなんかこれ宗教じみてきたな!でも理想論ではあるが、私は望んでいます。

 

ちなみに色々気になった結果アンケートも取ってみましたが、私の観測内から想定される割と予想通りの結果になりましたね。

尊重したいと思ってくださる皆々様、ありがとうございます。

そういう時代だと思っている方、私の観測内にいなくて助かりました(まあ私がそう言わせてるだけかもしれないが)。

画面の向こうのことと思っている方、あなたの近くにも悩んでいる方は必ずいます。

特に意識してない人、多分当事者。

 

私個人としては意識する配慮するという言葉すら消え失せ、ただの個性として扱われることが一番の望みです。同性愛もトランスジェンダーも些細なこと。「へーそうなんだ、でもあなたがあなたであることには変わりないよね」と他人事のように流せる時代、シストランスホモヘテロ関係なく自由に生きれる世界がほしいです。

トランスジェンダー芸人なんて言ってなきゃ耐えられない私を止めてほしい。そんな芸人廃れてしまえ。防空壕から連れ出して…。

 

*1:このフレーズはフォロワーが言っていた言葉ですが、私が気に入ったので勝手にパクりました。本当にその通り。自分の浅はかさをまじまじと考えさせられました。