恋心ミルフィーユ

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ツイッターじゃ吐ききれない妄言をまとめていくよ

"普通"って何?井手上漠さんのフォトエッセイを読んだ感想と、暁山瑞希の未来について

井手上漠フォトエッセイ normal?

井手上漠フォトエッセイ normal?

  • 作者:井手上 漠
  • 発売日: 2021/04/20
  • メディア: 単行本
 

  井手上漠さんのフォトエッセイ『nomal?』読みました!

ジェンダーレスという自分を通して"普通"というものに縛られない、そもそも"普通"って何?ということを描いた1冊でした。最初は「瑞希の参考になればいいなぁ」という軽い気持ちで買ったんですが、もう全部がすごくて、共感、感動、そして救いに、1冊を通して漠さんの生き方考え方を享受できた素晴らしい本でした…。

私自身Xジェンダーとして生まれてきてしまったために生き方に悩んだり、というか今も悩み続け何度も自分を殺し殺されるような生活を送っていますが、こういう風に表に立って声を上げてくれる人には尊敬しか無いです。読んでいて私自身にも当てはまることが多く胸を刺されるような感覚に何度もなりましたが、それでも前を向く漠さんにとても希望を貰えました。本当に出会えてよかったなぁ…。

 

井手上漠さんについて

 多分私の記事を読んでくれてる人、TLの人って「そもそも井手上漠って誰?」みたいに思ってる人もいると思うんですよ。かくいう私も、実は3日前まで知りませんでした。芸能に疎すぎ!

ツイッターで上記リンクのフォトエッセイ発売の記事をたまたま見かけて、漠さんの芯のある姿にすごく心を打たれ、興味持ったから即購入!って感じで、完全に勢いで買いました。まだ漠さんのこともよくわからないうちに購入したんですよね。

なので私が語るのはちょっと筋違いなので、漠さんの固定ツイートを引用させてもらいます。

 こちらの画像の文、『normal?』の中にも出てきますが、中学生の時に出た弁論大会の原稿です。

生まれたときから周囲との違和感を感じ、一度は「普通の男の子」として生きようとするけど世界が色褪せてしまい、でも母からの言葉で自分らしく生きようと決意し、世界も色付きカラフルに輝いていく。もうね、この原稿を読むだけで泣いてしまうよ…。本当に幸せになってほしくなっちゃう(急な親心)

つまり、そういう方です。『私は私らしく』を体現した、すごく魅力的な人です。一瞬でファンになっちゃった。

 

私は私らしく

『normal?』、この原稿の内容をさらに広げた内容がメインなんですよね。生い立ちから、弁論大会でこの原稿を読み上げるまで、そしてその後"ありのままの自分"ジュノンボーイコンテストに出るまでを描いています。

なのでもうホント最初の方は「ほんと…幸せになって…。」という絶望に対する救済を求める気持ちになるんですよ。幼少期から性別の壁というものに当たってしまい、自分自身これでいいのかと悩み続け葛藤していく姿は本当に読んでるだけで辛く、苦しかったです。"普通"に染まろうと息を殺す、「気持ち悪い」と言われるくらいなら自分を殺してでも"普通の子"でいる方がマシ、でも自分を偽って"普通の子"になったとしても仕草や言葉遣いから違和感をもたれ揶揄われてしまう。この何をしても意味がないと感じてしまうのは、当事者にしかわからないよね…。

とはいえ私の場合は性別違和を自覚したのって高校卒業してからだし、年端もいかない子どものときからこういう出来事に遭遇するのは、私の感じてきた痛みよりも数倍数十倍痛いんだろうなぁ…。

だからこそ母親が救いの手を差し伸べてくれたときは、泣いちゃいました。「漠は漠のままでいいんだよ。」本当にこの言葉につきます。私は私、あなたはあなた。やっぱり自身がマイノリティだとマジョリティの圧に負けることは多々あるし、自分で自分を否定しなければいけないことも多いし、こうやって肯定してくれる人が1人いるってだけで世界の色は変わるよね…。

突き詰めていくうちに、ハッとしました。

本当の自分と向き合い、自分がどうしたいのか、どう生きたいのかを考える。

私は、そこからずっと逃げてきたんだということに。

「クラスメイトが"おかしな子"って思うから」

「誰も本当の私を理解してくれないから」

そんなふうに、主語は"私"ではなく、いつも他の"誰か"。毎日が楽しくないのは、他人のせいだと思い込んでいました。でもそれは違う。

自分の人生なのに、他の誰かのことばかり考えるから、つまらない生き方になる。

 

自分が楽しいと感じること、好きなこと、大切なもの、それは自分で決めよう。

 

そう決意した時から、私の世界は少しずつ色付き始めました。

モノクロだったはずの世界に鮮やかな光が差し、美しく色付き始めていく。

それがはっきりと分かったような気がしたのです。

引用:井手上漠フォトエッセイ「normal?」

本の内容を引用するのはあまり行儀がよくないとは思いますが、許してください。

誰かの視線、誰かの言葉、そのようなものに怯え、支配された生活を送るのではなく、自分が楽しい好きと思うことを尊重する。何をするにも常に人の視線というものはついてくるし、良し悪しは他人からの評価で決まることも多い。でもそういうもの全てを跳ね除けて自分のしたいことをするっていうのは生きるうえで本当に一番大切なことだし、それこそがその人の魅力になり得るよね…。だから漠さんはこんなにも輝いて映るんだよね…。

もう自分というものと向き合った漠さんは無敵!弁論大会やジュノンボーイともなれば読んでるこちらとしても「がんばえー!いけー!」って感じなんよ!性別違和とか関係なく、頑張ってる漠さんにとにかく応援上映始まっちゃうんよ!これに関しては私自身が漠さんのことについてまーじでなにも知らなかったからこその楽しみ方だったのかもしれないけど、おかげで終始ドキドキしながら楽しめましたね。

 

 私としてはあまり『恵まれている』という言葉は使いたくありません。そのような言葉は一種の諦めというか、自分とは違うんだと一線を引いてしまうように感じてしまうから。

だから漠さんが自身のセクシュアリティを周りの人に認められたことも、弁論大会やジュノンボーイで入賞したことも、『恵まれている』なんて言葉で片づけたくありません。 かつては自分のことを「気持ち悪い」と言った人からすら応援してもらえるようになったのは自分の信じる『可愛い』を追求した結果だし、同じ人間として頑張ればこんなに輝けるんだとすごく勇気をもらえました。私の世界はまだそこまで明るく色付いてはいないけど、漠さんの見るカラフルな世界を通して私自身の中にも光が見えてきたような気がします。

 

温かい世界

この『normal?』を読んで私が最初に感じたことは、「世界はこんなにも温かいんだ…。」ということでした。漠さんがここまで自分らしく生きることができるようになったのは自身の努力が一番だと思いますが、もちろん1人だけの力だけではありません。最初に背中を押してくれた母親、弁論大会へと導いてくれた能海先生、そして理解し支えてくれた友人、様々な人が手を引いてくれたおかげでこんなにも成長できたんだなぁという愛や温かみが、本文からもうすごいくらいに伝わってきます。

こういう言い方は良くないと思いますが、私は田舎というものに対してあまりいい印象を持っていません。私自身も結構な田舎出身なんですが、都会に出たとき「こんなにも自由なんだ…!」と、自身が狭い世界、そして狭い価値観にガチガチに雁字搦めにされていたんだと自覚した(そして自身の性自認にも向き合えた)ことがあるので、田舎というものを旧来の固定概念が生きづき周囲の視線が常に付きまとう最悪な地というイメージを持っていました。

でも、そんなことはなかったんだね。都会も田舎も、住んでるのは同じ人間。話せばきちんと理解してくれるし、応援もしてくれる。田舎だからこそ辛いこともあるかもしれないけど、田舎だからこそある優しさも存在する。いいふうに捉えるか悪いふうに捉えるかは本人次第だし、私自身が田舎に対して旧来の固定概念を持って偏見で決めつけていたんじゃないかなと自分の考えを改めさせられました。世界は変わる。世界は変えることができる!世界を冷たくしていたのは自分自身だったのかもしれません。

 

それこそ青天の霹靂というか、映画『聲の形での石田将也ように、目の前のバッテンが剥がれるような感覚がありました。それは田舎に対する偏見、周りからの目線や非難、自身の性別違和など様々な要因がありますが、それらが全部スッと晴れ爽やかな気分になれました。

更衣室やトイレの問題など、私自身も悩んでることですが、みんなの幸せのためにマイノリティである自身が犠牲になることがないように周りがそれを助けてくれる。もう本当にすごいなぁ。そして漠さん自身も自分と同じ悩みを抱えてる人全員を救うために『制服改革』を行ったりと、本当に私の価値観じゃ信じられないことばかり起きてるんですよ。LGBTsに対する偏見が無くなったとは微塵も思わないけど、少なくとも今の10代の人は20代~の人とはもう考え方や価値観が全然違うしかなり柔軟なんだろうなぁ。いい時代になってきたね。本当にありがとう…。

 

 

暁山瑞希の目指す未来

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あ、急に『プロジェクトセカイ』っていう2次元の話をしてもいいですか?一応私は本職(本職…?)としては暁山瑞希のことを考えまくる人なんですよね。

瑞希も自分の好き可愛いを信じ、そして体現している魅力的な人です。それこそ漠さんとリンクする想いは見ている限りでも様々あります。でも一番の違いは『周りからの理解』。性別観など瑞希は明らかになっていない部分が多いため語れることは少ないですが、もうこれに限ります。

もしかしたら漠さんだって今はこんなにも幸せに輝いてるけど、この瑞希のような境遇になっていた可能性もあります。もちろん漠さんだけでなくて同じような悩みを抱えてる人全員に当てはまることです。当事者の悩みは千差万別。 自分の力で環境を変えた人もいれば変えることのできなかった人もいるからね…。

とはいえ、逆に考えれば瑞希だってこのような改革が起きることだってあるはず!自分のことをきちんと伝えることで、世界をカラフルにすることだって可能ではあるんだよ!

 

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でも瑞希、自ら諦めて殻に閉じこもる感じがあるからなぁ…。そもそも改革を起こすというスタートラインには立たないという前提が存在します。

まあ瑞希としては文化祭で自分の過ごしやすい場所というものは確立できたわけだし、この前の[気づいてしまった思い]のサイドエピでも描かれているけど類や杏のような理解してくれる友人もいてくれます。瑞希も周りに救われて、きちんと過ごしやすい世界で助けてもらっているなぁというのは実感していますね。これはこれでハッピーエンドなのかも。

でもやっぱり認められる土壌がなきゃ不登校だって治らないし、学校での居場所も増えない。それにニーゴのメンバーに秘密を話す機会ができたときにも、上手く伝えることができないんじゃないかなぁ…と。やっぱり不安になっちゃいます。

 特にシークレットディスタンスでこのニーゴメンバーへのカミングアウト瑞希の大きなテーマとして与えられてしまった以上は、学校内で解決しているかどうかがすごく影響するんじゃないかなぁ…と。やっぱり本人の自信や前向きな気持ちが世界を変えるということを『normal?』からたくさん学んだので。

瑞希…頑張って…。たしかに辛いこともたくさんあるけど、世界はもっと温かいよ。確かに思いを伝えることって大変だと思うけど、幸せになれる方法を必死に模索して、必死に足掻いて、必死に生きてほしいです。結局ニーゴは全員「命に嫌われている」がベースにあるよね。

 

終わりに

 ということで、『normal?』を読んだ感想と瑞希についてでした。1記事で2テーマ扱うとすごくごっちゃになるけど、2つとも書きたかった話題なので許してね。漠さんのこと大好きになったので、これからは土曜日はズムサタで元気を貰います!土曜日マジで辛いから朝から漠さんに癒されよう…。

エッセイの内容に関しては上にずっと書いてきた通りだけど、とにかく温かかったなぁ。大変なこと、辛かったことも多い人生だったと思うけど、それを乗り越え、そのようなことも含めて井手上漠だと言い切るような強さをすごく感じました。

とはいえ、全てが温かく幸せというわけではありません。第2章『あなたは、あなたらしく』で描かれていますが、恋愛観に関する「普通」や、トイレや銭湯の「見えない壁」など、性別に関する問題は社会に様々存在します。

私も同じ問題をかなり抱えているし、モラトリアム記事でも書かせてもらったのですが、私としても声を上げる理由は同じです。当事者じゃないとわからない痛み、そして当事者じゃないと気づけない問題などを伝え知ってもらうことです。私たちから発信しないと相互理解は起こりえないですからね。

是非この本を通して自分の中にある「普通」が本当にそのままでいいのかを見つめ直して、そして誰かが犠牲になることなく全員が幸せになれる方法はあるのかというのを考えてもらいたいです。もちろん私も考えていきます。そうやって今の世界を変え、今の世代、そして次の世代がよりよい環境になるように全員で向き合うことが大切だと思います。

今日行われていたレインボープライドだってそのような想いから毎年開かれているからね。是非、向き合ってください。他人事だと思わず、一緒に模索していきましょう。