恋心ミルフィーユ

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ツイッターじゃ吐ききれない妄言をまとめていくよ

【途中からネタバレ有り】『怪物』について語らないといけないと思ったわけで【絶賛公開中】

映画『怪物』 公式サイト

どうもこんにちは、恋心ミルフィーユです。

映画『怪物』を見てきました。この作品は『万引き家族』の是枝監督と『花束みたいな恋をした』の坂元脚本による最強タッグで…

とかどうでもいい!!!

建前とかね、語るだけ無駄なんですよ。とにかくもう、放心状態です。見てから4時間くらい経ったのかな。帰っていて、夕ご飯食べても、背筋が凍ったままというか。結構人を選ぶものの、このしんどさを反芻し一生考えていかなければいけないと思える作品でした。

観てほしい映画を勧めるときって予告を見せて興味を引いてもらうっていうのあるじゃないですか。『怪物』に関しては、個人的には見てほしくないです。できる限り前情報は無い方が楽しめると思います。私は本当に何も知らずに見たので「なんかフライヤー的には田舎の呪い的なホラーみがあるなぁ。」くらいの感覚でしたが、蓋を開ければ一変。「人間」と「善悪」がこれでもかと気持ち悪いくらいに詰め込まれた映画でした。

 

私の身近な人に伝わりやすい例えをするなら、『ノンブレス・オブリージュ』であり『25時、ナイトコードで。』です。もしこの曲を知らない方は是非聞いてみてほしいし、その上で方向性がわかったら映画を観てもらいたいです。

 

つまり、かなり内容は過激であり、観る人によっては本当に辛いことを思い出してしまう恐れがあるため、観ないという選択肢を選ぶことも必要ではあります。

虐待、いじめ、差別、普通、男らしくあれ、LGBT、子ども、大人、様々なテーマを詰め込み映画の形を成しているため、視聴には注意が必要です。特に映画の形を成しているのが厄介で、映画として1本の綺麗な作品になってはいますが、社会で起きているこれらの問題は現代社会でも汚く未解決でどうしようもなく、当事者を苦しめている現状があります。しかも当たり前のように。

なので、映画でまで辛い思いしたかないよ…。という人は見ない方がいいです。ですが、現代の社会を知るためにも見れる人は観るべきだと私は考えています。うん、難しいね!

ということでネタバレ有りの感想をこの後していきます。

 

ネタバレ有りの感想

『怪物』では1つの事件を3つの視点から描いています。1つ目は親目線、2つ目は教師目線、3つ目は子供目線。

1つ目の親目線で見たときは、まぁ~~~~~~感情移入しまくっちゃったよね。やはり私自身も子供は持ってはいないとはいえ『子』よりも『親』の方に気持ちを寄せちゃう年齢。子どもは無条件で大事に育ってほしいし、健やかに健康に生きててほしい。そんな子どもを任せる学校にもやっぱり信頼もあれば不安もあるし、何か起きるたびにヒスってしまう気持ちもまあわかります。

だからまあ~怖かったよね。不安定になっていく湊くん(息子)、要領を得ない教師陣、何かすべてが噛み合ってなくて「ハァ!?私が悪いってんの!?息子が苦しんでんぞ!?おいこら!謝罪じゃなくて!対処と対応!」って感じでめっちゃリンクしてたし、学校なんて行かんでええ!あんなカスどもに付き合わんくてええ!って感じで憤慨よ。

でも2つ目の教師目線を見るとそうではなくて。様々な角度から見るとすれ違っていたことにも解答が出て違う見方ができるのは、わかりやすい例だと『カメラを止めるな』でもあったんですけど、まさにそんな感じ。親は親として子どもを守る目線があるが、先生にも先生としての子どもを守る目線がある。最初はカス教師めぇ~~~!てキレてたけれども、いざ教師サイドを見ると「こんなん痴漢冤罪と一緒やん!」の気持ちになって。あまりにも最悪が過ぎるって…。

親目線の教師と教師目線の教師があまりにも別物に見えるんですが、主観と客観の違いがこれでもかと描かれていましたね。母親から見たら教師はただ黙ってだんまりしてるだけの「人の形をした別物」に見えるけど、実際の保利先生はそんなことなくて。母フィルターを通した世界と、教師フィルターを通した母の映り方の違いを表現してきたのはやっぱ上手いよなぁ。

 

ということで「え?湊くんと依里くん大丈夫なん?黒幕か?」と散々振り回してからの2人のターンがもう、キッッッッツイ。親には親の、先生には先生の視点があるように、子には子の視点がある。「親の心子知らず」とはよく言ったもので、大人からの目線ではわからないものが2人にはあって。

片方しかない靴や傷害事件(事故)、水筒の泥も、一見するとただのイジメのようにみえるものも理由があって。2人だけの世界が構築されていくからこその物語が、後半とてもしんどかったです。自身の気持ちと依里くんからの感情に答えを出せない湊くん、依里くんのことをキ〇ガイとして忌む父親、「普通の幸せ」を願う母、全てがぐちゃぐちゃのドロドロになっていきながらもあのラストに繋がるのかと考えるとね、なんかもう言葉にできません。

 

イジメる加害者、依里くん湊くん、女児など全員を一括りして語るのは正しいのかわからないけど、私としては明確な悪意を持って害をなしていない限りは、子どもは無条件で守らなければいけないと考えています。

全員まだ小学生。善悪の区別も大人に比べればついていない以上は、もし悪いことをしたなら現場を見ていない、きちんと教育していない教師や親の責任であると思います。イジメはもちろん悪いことだし子どもだからと許していいものではないが、その責任を子どもに押し付けて終わりにするのは酷なこと。何がどういけないのかをきちんと理解させることこそが重要だと思います。この『怪物』の物語は結構すれ違いによる食い違いが多いため、もっと大人側が報連相をきちんとできていれば防げていたこともあるなぁと。

 

まあ、結果論で言うのは簡単。それができないからこそ難しいんだよね…。人間…。

 

『普通』への価値観

最近の作品、それこそ私がよく語るプロセカでもそうですが、映画だと『かがみの孤城』でも度々表現されていた『普通』の価値観に関する言及がとても多くありました。

「あの年齢(11歳)の子たちが、例えば自分がゲイであるとかトランスジェンダーであるという自認、もしくは他認をするということはまだ早い段階なので、『そういう特定の描写をむしろ避けた方がいいのではないか』というアドバイスをいただいて、極力というか、そういう描写を脚本から少しカットした」

 

是枝監督は、作品タイトルに込めた思いも明かした。

 

「その名付けようのない、自分の中に芽生えた得体の知れないもの、あの子たちにとっては。それを彼らは『怪物』と名付けてしまう、もしくは周りの抑圧によってそう呼ばされてしまう。そのことを描きたい」

 

同作では同性愛が題材だが、是枝監督は「自分の中に芽生えてしまった、自分でも理解できない自分の感情とか存在を、怪物だと思ってしまうという感情とか行為というのは、いろんなところでいろんな状況に置かれた子供たちの中で起きているだろうな」と考えたという。

 

引用: 是枝裕和監督「彼らから見れば私たちのほうが…」 カンヌでLGBTQ賞『怪物』に込めた思い(東スポWEB) - Yahoo!ニュース

普通とは何か、湊くんの母親が求める「結婚して子どもを持つ」というステレオタイプの幸せが本当に幸せなのか。子どもは自分の意見を持っているようで持っていない、やはり近くにいる大人の意見に無意識に従ってしまう以上は依里くんに対して特別な感情を持つことは自身に対しても「罪悪感のようなもの」を感じてしまうのかなぁ…。って。

でもその気持ちを絶対に否定しない。その姿勢がと映画の中では貫かれていました。先生の「男なんだから男らしくしろ」という地獄のような言葉も、肯定されることが無く進行していきます。その『普通は』みたいなことを当たり前のように『普通』として終わらせず、むしろ子供を苦しめる刃でしかないという意味を込めてきたのはすごく助かります。特に1,2周目では「何この不安を煽る不協和音は…」という印象しかなかった吹奏楽の裏で行われていた校長とのやり取りこそ、この映画の示した『普通』への解答だったなぁ…。

大事なのは世間の求める『普通』に従うことではない。自身の気持ちこそが一番だし大切にしないとね。

 

名前のない怪物

私としてはこの『怪物』という作品を「同性愛の映画」だとは思いません。そういう文脈も含んでいるとはいえ、一番のテーマは視点によって『怪物』の存在が変わっているということだと思っています。子が、親が、教師が、誰でも怪物になる。最初の方にも書いたけど一つの視点では善悪の判断が出来ない、そのことが残虐なまでに描かれていたなぁと。

だからこその、2人だけのラスト。2人だけの笑ってられる世界。『惡の華』や『キミにきめた!(ポケモン)』でも描かれている「山の向こうには何があるんだろう」を彷彿とさせる終わり方がね…。どうやって捉えたらいいんだろうね。2人だけの逃避行。小さな町でのしがらみから抜け出した先に待っているもの。『善と悪』と同時に『死と転生』もテーマとして扱っていた今作において所詮は子供の軽い家出なのか、それとも死後の世界だったのか。私には何もわかりません。

わからないからこそ、考えるしかないんですよね。監督の伝えたかったこととは。エンドロールの余韻に感じたあの感情は何なのか。この作品における善とは何か、悪とは何か。兎にも角にもこういう話がキツイけど大好きすぎるので、はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…………。

この気持ち、みんなも味わおう。終わり。