恋心ミルフィーユ

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ツイッターじゃ吐ききれない妄言をまとめていくよ

劇場版スタァライト、舞台少女の死って何だろう?

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昨日も書いたのに、今日もスタァライトの話してもいい?いいよ!

 もうね、未だに憑りつかれてます。本当に良い映画だったなぁ。今すぐにでも2回目を見に行きたいのに、さすがに物理的に厳しくてつらいよ。次に見れるのは土曜日かぁ…。何度も見たくなる映画はいっぱいあるけど、もう一度見たすぎて頭抱えたのはコレが初めてです…。

昨日スタァライト浴びて感想殴り書きにしたわけなんだけど、やっぱり未だに色々考えることあるなぁ…って。ということで今回は『舞台少女の死』についてもっと書きたくなっちゃった。

 

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 舞台少女の死、舞台少女としての進化を止めることだと思ったけど、『舞台少女』から『舞台俳優』として羽ばたくという意味もあるのかな?

スタァライト、舞台少女という呼び方をよく使うけど、少女でいられる時間っていうのは限りがあるよね。学校を卒業して、歌劇団等に入り、年齢もキャリアも関係ない世界で戦う彼女たちの姿は、もはや少女ではない。「舞台少女」という枠組みから「舞台俳優」へと進化し、これからの人生を過ごしていく。それこそが「舞台少女の死」なのかなぁって。

子どもから大人になる瞬間って実際自分でもわからないよね。年齢が、周囲の環境が、いつの間にか自分を大人にしている。いつかなんて境界線は無く、グラデーションのように変わっている。3年生になった99期生は、まさしくそのグラデーションの渦中にいました。

卒業と就学を控え、舞台少女としても舞台人としても曖昧な存在に。そのせいで歌劇団のスターを手の届かない存在のように尊敬したり、舞台少女として挑んだオーディションについても深く考えないようになってしまって。そのどちらでもない燻った感情を炊き上げ、なあなあで人生を進むのではなく、舞台少女の自分を殺し、舞台俳優へと「再生産」を行うために開かれたのがワイルドスクリーンバロックなのかも。

 

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そういう点ではななは最適だよね。何度も再演をし、誰よりもはやく「舞台人」になっていたのだから。そして何者にもなれない、成長を止めてしまった者の末路も一番よく知ってるから。

だからこその皆殺しのレヴューであり、そこで曖昧なみんなを舞台少女として蘇らせた。そして舞台少女としての自分と決別し、新たに舞台人として再生産されたのかもね。華恋とひかりはともかくとして、他の7人はこういう面が強いのかも。

舞台少女の死、単語からネガティブな印象を受けがちだけど、死についてはこういうポジティブな解釈もできるのかもね。

 

…というのが私が1回見て思ったことなんだけど、ググったらやっぱり色々な意見があるよね。何が正解かわからない、むしろ各々の中に正解があるっていうのが一番好きな答えだからこういう風に色々な視点から見れるのはやっぱり楽しい!

ロロロの感想ではあるんだけど、『舞台少女の死』についてはここですごい上手く語られていてびっくり!面白いなぁ。戯曲スタァライトの内容と、舞台の性質をここまで考ることは私にはできないもん。

華恋ちゃんが結末を書き変え悲劇であったスタァライトからひかりちゃんを救い出したわけだけど、それは舞台として本当に正しかったのか?本来のスタァライトとかけ離れてしまったことにどのような弊害があるのか?確かにHAPPYENDだね良かったねで終わらせていい話ではなかったかも!

土曜に観るまでに色々と予習しておきたいなぁ。戯曲スタァライトについてももっと深く知りたいし、アニメも見返したいし、劇場版も髪飾りが持つ性質について考えながら見なきゃね!こんなにも楽しめるなんて、本当にありがとうだよ。

でも私、パンフレット買えてません!もう売り切れてた…。それだけは許せない。